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レズビアンからノンバイナリーへ。“島ナイチャー” がやっと見つけた自分らしさ【前編】

イエロー、ホワイト、パープル、ブラック「ノンバイナリーカラー」のファッションを身にまとい、颯爽と現れた羽田知佳さん。そのアイコニックな姿は、取材場所である渋谷の喧騒のなかでもひときわ目を引いた。「口下手なもんで、聞き取りづらかったらすみません」と前置きしたうえで半生を語る羽田さんから、これまで何度も自己と向き合い言葉を探し続けてきた軌跡を感じた。

2025/08/24/Sun
Photo : Tomoki Suzuki Text : Haruka Isobe
羽田 知佳 / Chika Haneda

1981年、東京都生まれ。高校時代、女性の親友に恋心を抱き、20代半ばごろにレズビアンとして生きることを決心したが、現在はノンバイナリーを自認。2013年より念願の沖縄移住を果たし、今年で移住12年目。特定相談支援・障害児相談支援事業所で相談支援専門員として活動するかたわら、LGBT当事者の悩みに寄り添うサポーターを務める。

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INDEX
01 都会っ子が島ナイチャーに
02 “超” 放任主義の家庭
03 親友がほしかった
04 異性が気になる中学時代
05 親友に、恋をした
==================(後編)========================
06 好きなのは男性? 女性?
07 レズビアンとして生きる
08 カミングアウトは伝言ゲーム方式
09 沖縄で人生を再スタート
10 LGBTという言葉がなくても生きやすい社会に

01超都会っ子が島ナイチャーに

沖縄に移住して12年目

出身は東京都世田谷区。

現在は、沖縄移住歴12年目の “島ナイチャー(本土から沖縄に移住した定住者)” 。

「高校は渋谷エリアだったんですけど、そのころから漠然と東京で暮らすのは難しいかなって感じてました」

「10代のころから、駅にホームで電車からたくさん人がバーッと降りてくるなかに紛れるときに、離人症みたいな・・・・・・自分が自分じゃないような、どこかから傍観してるような感覚になることがあって」

年を重ねるたび、東京を出て田舎で暮らしたいという思いが強くなっていった。

もともと旅行が好きで、父の生まれ故郷である福島で親戚の家に1週間滞在したり、そのあとも北から南まであちこち旅をしたりと、さまざまな土地を訪れた。

「4つ上の姉がいるんですけど、その姉がすごく沖縄に興味のある人で。その影響で私もいつか沖縄に行ってみたいと思ってました」

「ある日、沖縄に単身移住した親友から電話がかかってきて、そこで一度、沖縄に行くことにしたんです」

沖縄に「呼ばれてる」と感じた

日本列島のなかでも、沖縄は年間降水量の多い地域として知られている。

沖縄の言葉で「カタブイ」と呼ばれる局地的な豪雨、スコールが多い土地柄である。

「ここは雨が降ってるのに500メートル先は晴れてる、みたいなことが沖縄ではよくあるんですけど、私が行く場所は必ず晴れてるんですよね」

「もう、沖縄に来てくださいって呼ばれてる気がしました(笑)」

過去に北海道に住む女性と遠距離恋愛をしていた時期があり、当時は移住を考えていたが、北海道は “なにかが違う” と感じていた。

「沖縄は、自分に合ってるのかなって感じがして。今まで訪れた土地のなかで一番しっくりきました」

沖縄の人々のマイペースさにカルチャーショック

沖縄に移住してすぐ、水が肌に合わないという問題に直面する。

「水が合わなかったんですよ。全身に湿疹ができてしまって、皮膚科に通いました。それが1、2年続いたかな。ほかの移住者の話を聞くと、やっぱり一定数いるみたいですね」

それでも、時間が経つにつれて体が順応していき、いつの間にか湿疹は消えていった。

徐々に、新しい環境に適応していく。それは体に限ったことではない。

「・・・・・・でも、やっぱり最初はウチナータイムには慣れなかったですね(苦笑)」

ウチナータイムは沖縄県民特有の時間感覚のことだ。

仕事の会議に10~15分遅れるのは当たり前で、遅れるときも連絡しない人もいるほど。

「クライアントが30分遅刻することもありましたね。その方は、沖縄出身ではなく、移住者だったりするんですけどね(笑)」

「だから沖縄で生まれ育った人が、というよりも沖縄全体でそういう “ウチナー文化” があるなと感じますね」

いまだに慣れない文化ではあるものの「自分も遅刻していけばいいのかな」と折り合いをつけ、沖縄の人々のライフスタイルを受け入れている。

02 “超” 放任主義の家庭

ボーイッシュな幼少時代

保育園時代からすでにボーイッシュだった。
手入れが大変だからという母親の意向で、髪は常にショートカット。

「自分でも好んでいたのか、ちょっと記憶が定かではないんですけど、確かに小さいころからボーイッシュでした」

「でも小学校に上がってから、ちょっと女の子っぽくしたい気持ちが出てきて。多分、周りを見て自分も同じようにしなきゃと思ったんでしょうね」

しかし、その思いもむなしく、母親に髪をバッサリ切られてしまう。

「短髪にされたことがすごくいやで、泣きながら学校に行ったことがありましたね」

女の子らしくしたい気持ちはあったものの、フラフープやゴム段といった女子だけがするような遊びが好きではなかった。

「サッカーボールを蹴ったり、スケボーしたりするのが好きでした。でも、そういう遊びを一緒にできる友だちが、女の子にはいなくて。だからといって男の子と交わろうとも思わず・・・・・・」

結局、ほとんど放課後はひとりで遊んでいた。

休日には父と公園でボール蹴りをすることもあったが、同級生と交われない孤独感を少しずつ抱くようになる。

世話焼きな姉が親代わり

4歳違いの姉は、世話焼きな人だ。

姉は小学1年生のころから当時まだ保育園児だった私を連れて、母方の祖父母宅のある浅草へ電車で通っていた。

「毎週末、姉とおじいちゃんおばあちゃんの家にお泊りに行ってました」

世田谷から浅草までは電車で1時間はかかってしまう。
浅草に向かう途中、幼い私は電車で寝てしまうこともあった。

「電車で寝てしまった私を姉がおんぶして、汗だくになりながら駅から祖父母宅まで行った、というエピソードを聞いたことがあります」

「もう、姉が親みたいな存在ですね(苦笑)」

祖父母からの愛情

浅草に住む祖父母は、仕事が忙しい両親に代わり、生まれて間もない姉を預かり、そして育てた。

姉はほとんど祖父母に育てられたといっていい。

「姉のあとに生まれた私も、祖父母はウェルカムって感じで受け入れてくれて。本当に至れり尽くせりなんですよ」

「座ってると、おいしいご飯がどんどん出てくる(笑)」

日曜日は祖母とデパートに行って、小学生ながらにブランド物の高級な洋服を買ってもらうことも。

あるときは、祖父が花やしきに連れて行ってくれることもあった。

「帰るときにはお小遣いもくれて『また来週ね』って。とにかくギブギブでした」

「敵をつくるな」が口癖の祖父。
「立っているものは、親(祖母のこと)でも使え」が口癖の祖母。

あくせく働く両親に代わって、たくさんの愛情を注いでくれる祖父母は、私にとっても姉にとっても大きな存在だった。

03親友がほしかった

多忙な両親、深まる孤独

4、5歳ごろに郵便局員だった父が退職し、その後、政治活動に参加するようになる。

初の世田谷区議会選挙では落選したものの、2回目の選挙では当選を果たした。

一方、母は学校の用務主事として働き、父が郵便局を辞めて政党の活動に参加する間も、一家の大黒柱として家計を支えていた。

「あるとき部屋を整理してたら、小学生だったころの作文が出てきたんです」

読んでみると、「今日もお母さんがいません」という言葉がつづられていた。

ほかにも「今日もリトルマーメイドのパンを買いに行きました」という一文もあった。

「それを読んで、当時を思い出しましたね」

「あのころはよく5000円札が冷蔵庫に貼られていて、今日も夕飯これで買ってね、という母のメモ書きがあったなって・・・・・・」

正直、当時のことはあまり覚えていないが、あのときの私は作文に自分の気持ちをしたためていたことが、大人になってわかった。

休み時間はひとりで読書

小学校高学年に差しかかるころ、再びボーイッシュな格好を好むようになる。

同級生の女の子から遊びに誘われたが、女の子たちが集まってする遊びがどうにも好きになれず、断り続けていると、気づけばひとりぼっちになっていた。

「休み時間は本読んでましたね」

いじめられているわけではないが、誰も自分に寄り付かない状況に、さびしさを感じていた。

女性アイドルに夢中

同じころ、帰国子女のアイドルとして注目を集めていた西田ひかるに夢中だった。

お小遣いのすべてを彼女につぎ込み、あるときは学校を休んで一日中、彼女のPVを見ることも。

「ある日、同級生が持ってた雑誌に西田ひかるが映ってる広告があって、その部分をくれないかってお願いしたら、レズなの? みたいなことをいわれたんです」

当時は恋愛対象がまだ定まっていない段階ではあったが、同性を好きでいることは嘲笑の対象になりえるのだと知る。

そこから同級生との溝がさらに深くなっていった。

「友だちがほしかったんです。ずっと」

中学校では、自分の通う小学校だけでなく、近隣の小学校からも生徒が集まる。中学生になれば、ほかの小学校出身の子と仲よくなれるのではないか。

そんな期待を胸に抱え、中学校入学を迎えた。

04異性が気になる中学時代

バスケで挫折、漢字検定部へ

紆余曲折あったものの、中学では友だちをつくることに成功した。

「中学1年は美術部、中学2年には開設されたばかりのバスケ部に入部しました」

「もともとバスケがやりたかったんですけど、中1のころはバスケ部がなくて。でも中2になってバスケ部ができたので、すぐに入部しました」

でも、これまで運動から離れていた自分にとって、バスケ部の練習はなかなかハードなものだった。

「当時はうさぎ跳びとかやってましたね。あまりにもハードだったもんで、中2で胃潰瘍手前になってしまったんです(苦笑)」

その後、バスケ部を退部して美術部に戻ることに。
そして中学3年に、創設されたばかりの漢字検定部に入部し、部長を務めた。

「漢字検定に合格すれば、高校受験で有利になるっていうウワサがあったんです。それで入部して部長になって、漢字検定3級に合格して。それからは漢字検定熱が到来しましたね(笑)」

おしゃれな男子が気になる

「中学の同級生に、ボーイッシュな女の子に対してプレゼントをする女子がいたんですね」

「周りはその子を見て、あれレズだよね、みたいなウワサをしてたんです」

小学生のときに同級生から投げかけられた「レズなの?」という言葉が頭をよぎる。

同性に好意を抱くことは、馬鹿にされる対象になる。
そんな空気感が、中学にもあった。

「ただ、その当時、まだ恋愛対象はよくわかっていない状態だったんです。女の子が好きな気持ちはあったような気もするんですけど、どちらかというとおしゃれな男子に目を向けてましたね」

中学時代、私が夢中になっていたパリコレについて、ただひとり同じように語り合える男子がいた。

「ケイト・モスいいよね、なんて盛り上がったりして」

とはいえ、そこから交際に発展することはなかった。

「その男子は別の同級生に告白されてたんだけど、私は特に告白することはありませんでした。ただ仲よくできればいいかな、って思ってました」

華々しい高校デビュー

高校は、大好きな代官山が近いことと「私服通学できること」を条件に選ぶ。

「都立高校では、偏差値が一定以上の学校じゃないと私服通学ができなかったんです。だからとにかく勉強しました」

私服通学を希望したのは、制服のスカートをはくのがいやだったから。

「中学の制服がもう、すごくいやだったんですよね。そのときは性自認についてあまり自覚はなかったんですけど、スカートだけははきたくないっていう気持ちはありました」

猛勉強のかいあって、代官山に近い私服で通学できる高校に合格した。

「中学デビューを果たせなかったので、今度は高校デビューだ! と意気込んでました」

そうして迎えた入学式。

中学の制服を着て参加する生徒が多いなか、私服を着てスパイラルパーマのロングヘアー姿でひとりたたずむ自分は、明らかに目立っていた。

「高校の入学式で私服を着てたのは、自分と留年した先輩だけだったので、周りからは留年生だと勘違いされて(笑)。同級生も声をかけづらかったみたいですね」

05親友に、恋をした

部活で忙しい友だち

入学式で近寄りがたい印象をあたえてしまったものの、高校の同級生はおしゃれな人が多く、徐々に打ち解けていった。

「放課後に青山に行って服を見たり、夏休みに温泉旅行に行ったりしてましたね」

「でも仲よくなった子たちは、みんな運動部で忙しんですよね。朝も昼も夕方も部活の練習に行ってしまうので、一緒に遊ぶ時間がどんどん減って、結局また小学校のときみたいに孤立してくんですよ・・・・・・」

高校3年間は写真部に所属していたが、同じ部活の仲間とはクラスが違うため、教室にいる間はひとりで過ごすことが多かった。

初めてできた親友

放課後や休日に友人と一緒に遊ぶことはあるものの、学校のなかではひとりぼっち。

転機が訪れたのは、高校3年のときだ。

「転校生してきた女の子がいたんです」
「その子は私と同じで名前が二文字で、下の漢字が一緒だったんですね」
彼女とはすぐに仲よくなった。

自分と同じように好奇心旺盛で、ちょっとしたスリルを楽しむ冒険好きな女の子。

「彼女の自宅が私の通学圏内だったこともあって、放課後は彼女の家の最寄り駅で途中下車して、カフェでお茶するのが日課になりました」

夜、カフェの閉店間際まで彼女と一緒に過ごす日々。

それでも「もっと彼女のそばにいたい」と思い、彼女の最寄り駅周辺でアルバイトを始める。

彼女と過ごす時間が増え、いつしか二人は親友と呼べるほどに親密な関係へと発展していった。

この感情は恋?

ずっとほしかった親友が、初めてできた。
しかし、彼女と時間を共有するなかで、友情以外の感情が芽生え始める。

「その子の家は、1階部分に両親と兄弟が住んでいて、2階部分は一般の民間アパートとして貸出してたんです。そのうちの一室が彼女の部屋でした」

実質、ひとり暮らしのような生活を送る彼女。

自由に出入りがしやすいため、私は頻繁に彼女の部屋に訪れるようになった。

「当時、その子はオリンピック出場者が所属するようなスイミングスクールに通っていて」

「練習がかなりハードだったみたいで、いつも部屋に疲れて帰ってくるんですよね」

疲れた彼女をマッサージして、寝かしつける。
いつの間にか、それが日課になっていった。

「くり返しマッサージしてくうちに、相手も味をしめて『頭なでていいよ』みたいなことを言うようになり・・・・・・」

彼女の頭をなでながら、自分の胸が高鳴っていることに気づいた。

 

 

<<<後編 2025/08/31/Sun>>>

INDEX
06 好きなのは男性? 女性?
07 レズビアンとして生きる
08 カミングアウトは伝言ゲーム方式
09 沖縄で人生を再スタート
10 LGBTという言葉がなくても生きやすい社会に

 

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